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名古屋地方裁判所 昭和48年(ヨ)114号 判決 1977年10月07日

申請人

酒井光三

右訴訟代理人弁護士

水野幹男

(ほか八名)

被申請人

株式会社大隈鉄工所

右代表者代表取締役

大隈孝一

右訴訟代理人弁護士

佐治良三

(ほか四名)

主文

一、申請人が被申請人の従業員たる地位を有することを仮に定める。

二、被申請人は申請人に対し、金三〇〇万円、及び昭和五二年四月七日以降、本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一か月金一〇万二七六四円の割合による金員を仮に支払え。

三、申請人のその余の申請を却下する。

四、訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  申請人

(一)  申請人が被申請人の従業員の地位にあることを仮に定める。

(二)  被申請人は申請人に対し、昭和四八年二月六日以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一ケ月金一〇万二七六四円の割合による金員を仮に支払え。

(三)  訴訟費用は、被申請人の負担とする。

二  被申請人

(一)  申請人の申請をいずれも却下する。

(二)  訴訟費用は、申請人の負担とする。

第二当事者の主張(略)

《以下事実略》

理由

(一次解雇について)

一、会社が工作機械の製造販売等を業とする株式会社であり、申請人が昭和三一年三月一八日に入社し、プレナー(平削盤)による部品加工業務に従事してきたものであること、会社が昭和四八年二月五日付辞令をもって申請人に対し、就業規則八―一〇(1)の規定により解雇する旨の意思表示をなしたこと(右意思表示の到達日時については暫く措く)については当事者間に争いがない。

二、一次解雇をめぐる経緯

(一)  本件出勤停止処分に至る経過

1 本件事故の発生

申請人が、昭和四八年一月七日午前六時二〇分頃、グレープレナー(平削盤)を操作して部品加工中居眠り状態に陥り、バイトを送り込みすぎた結果、プレナーテーブルに深さ約三ミリ、幅約二〇ミリないし二五ミリ、長さ約五メートルの損傷を与えたことについては当事者間に争いがない。(証拠略)によると、申請人は右居眠り作業により、プレナーテーブルに破損を生ぜしめたほか、そのとき加工していたLAギアーボックス一〇個に幅八ミリ、深さ三ミリの損傷を与えたこと、会社はこれを修正したが、なお幅一ミリ、深さ三ミリの傷が残ったこと、会社において工作不良としているのは、<1>図面に指示されている寸法公差内に加工ができなかった場合<2>加工によってついた傷がその部分の全加工工程を完了してもなお残っている場合等であること、従って申請人が加工したLAギアーボックスは工作不良であったことが認められる。しかし、他方(人証略)によると、その後右のように会社が修正したLAギアーボックスは製品として発送したがクレームはなかったことが認められる。申請人本人尋問の結果中以上の認定に反する部分は前掲証拠にてらし措信できない。なお、本件居眠り事故発生状況は、(証拠略)によれば、次のとおり認められ、他に右認定を左右するに足る疎明はない。

申請人は、LAギアーボックス一〇個を本件プレナーテーブル上に固定し、切削速度毎分四〇メートル、返り速度毎分九〇メートル、切込量約五ミリ、送り量〇・四ミリで自動送りをかけて荒削り加工をしていた。この場合、申請人はテーブルの傍に立って、バイトの切れ味、切削位置、加工物、段取りの状況を注視していなければならなかったのであるが、申請人は切削完了までに約三〇ミリの黒皮部分が残っていた段階で、椅子に腰を下したところ眠り込んでしまったため、バイトが所定の切削完了位置をすぎ、テーブルと加工物との空間部分をこえ、さらにテーブル上面に達し、テーブル上面に達したバイトが、正常切削時にかかる以外の無理な力が加えられたため、傾いて刃先のない部分(シャンク)でテーブルを大きく削り込んだのも、さらにバイトの刃先が加工物の方向へ接近し、加工物の下部角面を削ったのも全く気がつかなかった。申請人がこの間居眠りをしていた時間は、空間削りの約四分とテーブルを削り込んだ約三分の合計約七分を下らないと推定される。そして、もしもう少し居眠りから醒めるのが遅ければ、バイトは更に傾き、加工場の下へ喰い込み、バイトと刃物台の下部で、段取り用具や重さ一個約八三キログラムもあるLAギアーボックスをはねとばし、不測の事態を発生せしめる可能性があった。

2 本件事故発生後の処置

(証拠略)によれば、次の事実を認めることができ、右認定に反する(証拠略)は措信できない。

会社では、作業者が事故を起したときは、上司に報告することになっているところ、昭和四八年一月六日の夜勤監督者として、倉田、斉藤の各ブロック長、可児グループ長が勤務していたのであるが、申請人はこれら上司に事故を報告することなく帰宅した(事故を報告せずに帰宅したことは当事者間に争いがない)。申請人の反対番の作業者長谷川秀勝は一月七日午後八時からの夜勤作業のために出社したが、本件プレナーで申請人の続き作業をしようとしてLAギアーボックスの工作不良及び本件プレナーの傷に気づき、非番で自宅にいた申請人の直接の上司である小笠原グループ長に電話で報告した。同人は直ちに出社して長谷川に応急の指示を与え、翌八日朝上司の石田係長に本件事故を報告した。一方申請人は、当日出勤し、石田係長の追及により、本件事故が居眠りによるものであることを報告し、かつ謝罪し、ついで、石田係長の指示により、始末書(去る一月六日夜勤において四六〇〇―二〇七グレープレナーのテーブルに不注意の結果、バイトによる傷をつけてしまいました。過去にも類似の事故を発生させていることも合せて深く猛省を致し、今後かかる事故を皆無ならしめる決意で居ますが、この上はいかなるご処置にも服しますので、その旨を記し申告致します。と記載されている。)及び「一月六日夜勤における事故についての陳述書」(前日実質的な睡眠時間が約四時間であったことによる疲労と一日の作業をほぼ完了したという気の弛みによる事故であると思いますが、過去にも類似の事故にあることを思えば、不覚この上もない事故で責任の重大さを痛感致しております。と記載されている。)を人事部長宛に作成し提出した(申請人が始末書及び陳述書を作成提出したことは当事者間に争いがない)。石川部長は右陳述書に「現状では作業がまかせられない」旨添え書して人事部に送付した。右添え書の趣旨は、「申請人は昭和四六年九月の事故で譴責処分に付され(申請人が上記事故で始末書を提出したが、正規の譴責処分としてなされたものとは認められないことは後記のとおり)、ついで昭和四七年一二月にも事故を起こしており、本件事故はそれから一ケ月も経たないうちに惹起されたもので、これでは安全管理上作業をまかせられない」との同人の考えに基づくものであった。清水課長は、同日午後二時頃申請人を会社応接室に呼んで面談した。清水課長は石川部長の前記添え書に見られるとおり、現場では、再三に亘る申請人の居眠り事故のため、申請人には作業を任かせられないとしている点を重視し、事故の重大性について申請人に反省を促すと共に、本件事故については、事故の重大性、それが居眠りに原因すること、従来同種の事故を申請人が繰り返していること等からして、賞罰委員会に付され、懲戒処分がなされる可能性もあるから、寧ろ申請人としては、任意退社した方が自分自身のためになるのではないかとして、申請人に任意退社を勧告し、かつ、できるだけ今日中に退社届を提出するよう説得を繰り返した。午後五時頃、申請人は退社届用紙を同課長から受取り、帰宅後諾否の返事をすることとして帰宅したが、申請人は本件事故により退職させられる理由はないとして、同日夜布藤労働組合委員長(以下「布藤委員長」という)にことの次第を伝え、助力依頼の電話をすると共に、石田係長には、退職の意思なき旨を架電した。

一月九日朝、申請人は組合事務所において組合役員に本件事故についての清水課長との経緯を報告した。その後、布藤委員長は、清水課長に会い、同課長から本件事故について説明を受けたが、会社に対し解雇だけは避けてほしい旨要望した。同日午後清水課長は合田人事部長とも相談の上、申請人が二度と居眠り作業をしないことを固く決意し、その決意を裏付ける意味で、今後居眠りをしたら退職する旨を表明するならば、雇用継続を前提としたできるだけ軽い懲戒処分に止めるよう賞罰委員会に意見申することとし、その旨を申請人に伝え、その趣旨の誓約書の提出を求めた。申請人は清水課長、布藤委員長、石田係長、小笠原グループ長、石川部長らの前で、会社の意向に従い、その趣旨の誓約書を提出することに同意し、その場で、誓約書を書き始めたが、最終的に出来上った誓約書の文面は次のとおりである。

「この度かねてより上司から再三の注意を受けて来た居眠りの行為に起因する事故を発生させ、重大な責任を感じ大変申訳なく思っています。

今後次の各項に厳しく注意を払い、生産に寄与致したいと存じますので再び職場に帰属させていただきたいと存じます。

(イ) 常に充分な体調で出勤し、居眠り行為をなくし、生産にいそしみます。

(ロ) 上司及び同僚仲間に対し心配をかける行為及び迷惑となるような行為や勤務態度を厳しく改め、労働者として誠実に恥しくない生活を送ります。

(ハ) 上記(イ)及び(ロ)の各項を重大な決意で厳正に履行致します。

もし、今度居眠り行為に起因するような事故の発生を見た時には、私の方において責任の所在を明確に致します。」

右文面は、三回書き直した四回目のものであったが、石田係長、石川部長、清水課長らは、末尾の文言「私の方において責任の所在を明確に致します」では不十分であり、「退職する」に書き改めるように要求した。

申請人は、本件事故の重大性を自覚し、反省し、再度の事故が起ったときは、責任をとる趣旨の誓約書で十分であり退職するとの文言は、書くことはできないとして拒否し、結局誓約書は受理されるに至らなかった(以上の誓約書の提出要求、申請人が今後居眠りをしたら退職する旨記載することを拒否したことは当事者間に争いがない)。このように、申請人が、会社の要望する文言を記載した誓約書の提出を拒絶したので、会社は申請人の反省の念は十分でないと判断し、かっこのまま職場に迎えたならば、作業の安全と職場の規律に責任がもてないとの石田係長、石川部長らの意見をも考えて、申請人に対し自宅で待機するよう申し渡した。

会社においては、従業員の懲戒処分については、就業規則一四の一ないし四に定めるが、同規則及び労働協約には賞罰委員会の規定は存しない。但し懲戒処分をするに当り、社長の諮問機関として賞罰委員会内規により委員長に副社長、委員に常勤取締役四名の賞罰委員会が設けられているが、右委員会は、就業規則、協約に基づくものではない。一月一〇日申請人の本件居眠り事故について賞罰委員会が開催された。委員会においては、過去の事故歴(後記のとおり)、本件事故の態様、事故報告の懈怠、誓約書の提出拒否等にてらし、申請人を懲戒解雇または会社都合解雇にすべきであるとの意見もあったが、結局もう一度立ち直りの機会を与える趣旨で就業規則一四―四により一月九日から同月二〇日まで(一〇労働日)出勤停止処分に付する。但し、今後再び居眠り等不誠実の勤務をしたときは、賞罰委員会の議に付することなく、直ちに退職処分をする旨が決議され、社長決裁のうえ、協約所定の組合に対する事前の内示をなし、その承認を得た上、同日夕刻申請人は、本件出勤停止処分の辞令を交付された。申請人は、右処分につき異議申立をすることなく、これに服することとし、翌一月一一日申請人は組合事務所において組合三役に対しても、「処分に服する。」旨を告げた。同日組合は、執行委員会において、申請人が会社処分を了承したことをもってこの問題は決着がついたことを確認した。

3 申請人の過去の事故歴

(証拠略)によれば、会社では、危険防止のため機械作業の際には、特に所属課長の認めた工程を除き、手袋の着用を禁止していたが、申請人は屡々右定めに違反しており、昭和四六年夏頃これをようやく改めた。また申請人は本件事故以前昭和四六年一月、三月、七月、九月及び昭和四七年一二月一三日に会社主張のとおりの居眠り作業及び事故を惹起した。そのうち昭和四六年九月の居眠り事故は、申請人が夜勤中、グレープレナーの自動送りをかけたまま椅子に腰をかけて居眠りし、LS型旋盤の心押台一〇個すべてを工作不良としたものであったが、同年三月にも同種の居眠り事故を起こしていたため、日下部グループ長、伊藤ブロック長、石田係長から厳重に申請人に注意し、石田係長宛に誓約書の提出を命じたが、申請人は、最近体調が良くないこと、睡眠時間が不足している等を記載したものを提出したのみであったので、石田係長は石川部長に対し、申請人は反省していない旨報告した。そこで、同部長は申請人に対し、あらためて始末書の提出を求めた。申請人は石川部長の説得に従い、二度と居眠り作業をしない旨記載した始末書を同部長宛に提出したことが認められ、申請人本人尋問の結果部分中右認定に反する部分は前掲証拠にてらし措信できない。また(証拠略)は(証拠略)と対比し、申請人の主張を維持するに足りる証拠となし難い。

会社は昭和四六年九月の居眠り事故に関して申請人を譴責処分に付した旨主張し、(人証略)には、右主張に副う供述も存するが、(証拠略)によれば、譴責処分は就業規則一四―二において懲戒処分の一種で始末書をとり将来を戒める、と定めており、譴責処分と難も懲戒処分の一種として、被処分者の将来の昇給、昇格、一時金査定、名誉などに重大な不利益を与えるものである以上、処分に当ってはその旨の文書の交付をするなど、その手続は厳格になされるのが通常であるところ、本件全疎明によるも申請人に対する前記始末書提出に伴う訓戒が文書をもってなされたとは認められない。また会社の賞罰委員会は前記のとおり就業規則、協約に基づくものではなく、会社内部の諮問機関ではあるが、本件全疎明によるも右始末書提出につき申請人を譴責処分に付する旨決議されたとは認められないから、右始末書の提出が譴責処分としてなされたか否かについては、会社の主張に副う(人証略)はたやすく信用し難く、他に会社主張事実を認めるに足りる疎明は存しない。

(二)  本件出勤停止処分の効力

1 申請人は、前記二(一)3に述べたように昭和四六年一月以降昭和四八年一月七日の居眠り事故に至る二年間に人事部に報告されたものだけで、本件を含み居眠り事故四回、居眠り作業二回に及び、その都度上司から注意指導を受けており、特に昭和四六年九月の居眠り事故については、石川部長から厳重に注意されて始末書を提出したが、昭和四七年一二月一三日にはまたも居眠り作業によりLSエプロン一〇個の工作不良を発生させ、厳重注意を受けたにも拘らず、僅か一ケ月を経ないで、同じ居眠りを原因として一月六日の事故に至った。しかも事故の結果は、後に修正して製品として発送したとはいえ工作不良を生ぜしめたうえ、プレナー本体を損傷せしめた重大な事故であった(損傷の程度等については後記のとおり)。しかるに申請人は、夜勤監督者が勤務していたにも拘らず、右事故の報告をせずに帰宅してしまった。そのうえ、前記のとおり、一月八日朝石田係長の追及を受けてから、居眠り事故であることを報告したのである。ところで、賞罰委員会においては、前記のとおりこれらを理由に申請人を本件出勤停止処分に付したのであるが、(証拠略)によれば、右処分については、就業規則一四―四により懲戒解雇に処すべきところ、情状により出勤停止処分に処すると決議し、処分の辞令書にも一四―四とのみ記載されており、具体的に一四―四の何号に該当するかについての説明は申請人に対しなされなかったことが認められ、右認定の趣旨に反する(人証略)はたやすく信用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

2 そこで、本件出勤停止処分の就業規則一四―四の該当性について考えるに、一四―四が別紙(二)のとおりであることは当事者間に争いがない。会社は、該当条項は、一四―四(14)又は(15)であり、右(14)にいうこの規則とは、就業規則の前文、二―一の柱書き、及び二―一の(9)及び一〇―四を指し、(15)は(5)及び(12)を指す旨主張する。

(証拠略)によれば、就業規則の前文は、従業員は誠意を以ってこの規則を遵守しなければならない趣旨の精神条項であり、二―一の柱書も、従業員は業務上の命令に服し、業務に精励しなければならない趣旨の精神条項であり、二―一の(9)は「安全や保健衛生に関する規程と指示を守ること」と定め、一〇―四は「従業員は、安全管理者、安全委員及び防火管理者、火元責任者の指示に従い、安全に関する法規を守り、つねに災害防止と安全作業の実践に努めなければならない」旨規定していることが認められる。

ところで、本件事故は、作業中の居眠り事故であるから、右二―一の(9)、一〇―四にいう安全に関する規程と指示ないし作業の実践の要請に違反しているとして一四―四(14)(15)に違反していると言えなくはない。(一四―四(5)(12)はその文言自体からして故意犯の場合を指していることが明らかであるから、本件事故がこれらに該当しないことは明らかである)。しかし、(証拠略)によれば、一四―三は、次の各号の1に該当するときは、減給又は出勤停止とする。但し、情状により譴責に止めることがあると規定し、その(8)は、「故意または、重大な過失により建築物、機械工作物その他の物品を損傷したりまたは紛失したりしたとき」、その(9)は「業務上の怠慢または、監督不行届によって、災害、傷害その他の事故を発生させたとき」、その(12)は、「安全衛生に関する条項に違反、または指示に従わなかったとき」その(14)は「その他前各号に準ずる行為のあったとき」と規定していることが認められ、本件居眠り事故を安全規程又は指示違反の面から見れば、一四―三(12)に該当し、居眠りによる機械の損傷の面から見れば、それが申請人の重大な過失に基づくと認められる限りは、一四―三(8)に該当し、居眠りを業務上の怠慢と認められる限りは、一四―三(9)に該当し、以上を通じて一四―三(14)の右各号に準ずる行為のあったときにも該当すると解される。

従って、本件事故につき一四―四を直接適用することについては疑問の余地が存するわけであるが、もし、本件事故が、前記一四―三(8)(9)(12)(14)のいずれかに該当するとすれば、一四―四(14)にいう「この規則」の中には一四―三の右各号をも含むと解されるから、結局は就業規則一四の一ないし四を適用してなされた出勤停止処分として、客観的にみて、就業規則条項の該当性につき欠くるところはないことになる。

3 そこで進んで、本件事故につき一四―三の前記各号該当性につき判断する。

本件居眠り事故の右各号該当性ないしその情状につき問題となる点は、「居眠り」が申請人の重大な過失ないし業務上の怠慢と目さるべきであるか否か、居眠り事故による工作不良ないし機械損傷の程度、それにより会社の蒙った損害の程度、従前の他の事故例処分例との比較ないし本件事故につき会社、職制側にも安全対策上の責めらるべき点があったか否か等である。以下に、これらの点につき順次考察する。

(イ) 夜勤制度と本件居眠事故

(証拠略)によれば、次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

会社は、組合の強い要請を受け入れ(組合員の中には二組二交替制の夜勤の改善を望む声が非常に強かった)、昭和四五年一〇月労使間の協定により従来の二組二交替(いわゆるテレンクレン)を廃止して現行の三組二交替制による三週以上に一週の夜勤制度に移行し、これに加え昭和四六年四月からは完全週休二日制をとった。この制度によると、夜勤の労働時間は休憩一時間を含めて午後八時から翌日午前五時までであり、夜勤は月曜日を開始日とされているため、昼勤からの移行ないし昼勤への移行につき七二時間ないし四八時間の休養時間がある。会社が二組二交替制から三組二交替制に移行したについては、申請外長谷川医師(会社の診療所の医師)の二組二交替制は従業員の健康管理上好ましくないとの助言に負うところも多かった。昭和四九年九月時点で、わが国の従業員規模一〇〇〇人以上の機械製造業の中で、何らかの交替制を実施している企業が七三・七%あり、このうち、二組二交替制をとっている企業は六〇・五%であるのに対し、三組二交替制をとっている企業は一三・二%であり、会社の夜勤制度はこの一三・二%のうちに入っている。夜勤者は、五〇才未満の者を以ってあてるが、本人の健康、希望等により、夜勤から外すこともある。なお夜勤明けには通常二時間の残業があり、本件事故当時の申請人の夜勤は、拘束一一時間、実働一〇時間であった。

以上認定した事実によれば、本件事故は、三組二交替制の夜勤の残業時間中に生じたものであり、この制度は、労働衛生学的に見る限りは、苛酷な制度とは言えず、二組二交替制に比すれば、はるかに良好な夜勤制度ということができる。もとより深夜勤務を伴う実働一〇時間の夜勤に三週に一週従事することは、当該労働者の健康面、精神面にとって少からざる負担となることは容易に察することができるけれども(成立に争いのない<証拠略>によってもこのことは明らかである)、労使協定により三組二交替制の夜勤制度が成立している以上は、労働者としては、これを甘受する外はない筋合である。そうである以上、夜勤中の故を以て居眠りが許されてよい道理はないところ、(証拠略)によれば、申請人は会社の定期健康診断や夜勤者の健康診断において異常がなかったことが認められるから、申請人を夜勤者に組み入れたことについて会社に落度があったともいうことができない。従って、夜勤中の事故であるという一事を以って本件居眠り事故が免責されるいわれは毛頭存しない。

(ロ) プレナー作業と会社の安全対策上の過失の存否

(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

本件グレープレナーは、昭和四五年一一月頃米国グレー社から価格約一億円で購入し、昭和四六年三月頃から稼働を始めたもので、その基本構造は、機械の土台となるベット、その上に加工物を固定して往復運動をするテーブル、テーブルをはさんでベットの両側に立つ二本のコラム、コラムにそって上下するクロスレール、クロスレールに取り付けられた刃物台、コラムに取り付けられた刃物台、駆動電動機等である。加工対象物は鋳鉄、鋼鉄等を材料にした加工物であり、その平面を強力に重切削する作業を目的とする。本件プレナーは、いわゆる汎用機(不特定多数の工作物を加工することを目的とした機能、性能を有する工作機械)であり、専用機(加工する工作物が限定され、特定の工作物を加工するに必要な機能、性能を有する工作機械)ではない。そして、その駆動は、一〇〇馬力の電動機により行われ、速度は毎分約一〇〇メートル、加工精度は長手方向で二メートルにつき〇・〇〇六ミリ以内の真直度、横手方向でテーブル全幅につき〇・〇一ミリ以内の真直度が得られる。

作業は、段取り作業(加工物を種々の道具によりテーブル上に正確に固定する)、刃物合せ作業(加工物に刃物を調整しセットする。刃物はバイトと呼ばれ、特殊合金製の超硬質鋭利な刃物)、切削条件の決定(加工部品の設計図面に示された加工精度等によりテーブルの切削速度と返り速度をきめ、切込量、送り量等もきめる)の順で進行し、かくしてプレナーの稼働が開始する。

切削中作業者は、テーブルの傍に立ち、バイトの切れ味、切削位置、加工物、段取りの状況を絶えず注意することが要求される。ついでプレナーは自動送りに切り換えられる(本件事故時における自動送りの時間は約一〇分であった)。自動送り中も、作業者は、前同様絶えざる注意が要求される。

本件プレナーは、汎用機として、テーブル往復運動、クロスレール上下運動、クロスレール刃物台左右運動、サイド刃物台上下運動、刃物台自身の上下運動等に保安装置が装着されている。これら保安装置は、機械作動中にこれらの各種部品が機械構造上での動作範囲の限界に達した場合、あるいは各種部品が互に衝突したりする場合に作動するが、刃物台と加工物との関係において、切削が完了したときに自動的に刃物台が停止するような刃物台上下送り自動停止装置は取りつけられていない。米国グレー社、新潟鉄工、富士製作所、ドイツコプルグ社の工作機械メーカーのプレナーは殆んど右と同様であり、富士製作所から豊田スルーザーに納入した専用プレナー(FD一二一〇―五〇型油圧式)は、発註者の特別の註文により刃物台上下送り自動停止装置がついているが、同製作所でこの装置をつけたのは僅かに右の一例のみである。

本件プレナーに右停止装置がついていない理由は、汎用機であり、汎用機には右装置をつけないのが、メーカーの通例とされていたためと思われる。

汎用プレナーに、もし右停止装置をつけた場合は、加工対象物が異る度に、また刃物合せ毎に停止装置の調整が必要となるし、切削中の異常については全く作動しないし、また所定作業完了直前に一旦機械を停止させて、寸法の確認や、切削状況の確認をする必要上から見ると、停止装置の存在の意味が乏しいなどの難点がある。

他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

以上に認定した事実によれば、仮に、本件プレナーに刃物台上下送り自動停止装置をつけることが可能であるとしても、会社がこの装置をつけていないことを以って、本件事故につき会社に安全対策上の過失ありとは到底言えない。

しかしながら、(証拠略)によれば、本件事故の発生した明け方午前六時二〇分頃は、夜勤勤務者が生理的に最も眠気を感じ、かつ人間の大脳機能レベルの低下する時間帯であることが認められ、しかも申請人が従事していたプレナー作業は、前記のとおり自動送り中であり、自動送り中は、常時直接手を下す作業と比べれば、異常が発見されない限りは単調な監視労働に属するものといえるから、プレナー作業者が自動送り作業中に居眠りする可能性は考えられる。作業中に居眠りすることは、許されることではないが、作業の危険性が大きいだけに、会社も万一の場合を考えて、夜勤監督者による見廻り等を励行して居眠りによる事故を未然に防止すべき注意義務があることはいうまでもなく、申請人本人尋問の結果によれば、本件事故当時において、数名の夜勤監督者がいたことが認められる。ところが、これら夜勤監督者は本件事故発生前に申請人の居眠りを発見できなかったのであるから、この点において会社の安全対策上の懈怠があったものというべきである。

次に、昭和三八年五月以前会社ではプレナー一台につき二人の担当者が配置されていたことは当事者間に争いがなく、担当者が二人の場合には本件のような居眠り事故の発生を防止しうることは明らかであり、(証拠略)によれば、昭和五一年三月現在株式会社太平製作所においては、プレナー一台に二人の作業者が配置されていることが認められる。しかし、(人証略)によれば、プレナー担当者を二人から一人にしたのは、会社のやむを得ない業務上の必要に基づくものであることが認められるから、プレナー作業の担当者を一人に減員したことをもって会社の安全対策上の過失ということはできない。

(ハ) 本件プレナーの損傷の程度

(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

本件プレナーのテーブル面の損傷部位は、テーブル右側からテーブル幅の約三分の一のところであり、深さ約三ミリ、幅約二〇ないし二五ミリ、長さ約五メートルであることは前記のとおりである。右損傷は、加工基準面であるテーブル上であるため、高精度を要求される汎用機としての性能が相当程度損なわれ、作業制限の度合も大きい。

損傷の深さだけ、テーブル全体を削って修復するには、直接の工事費のみで約二五万円を要するが、この方法では、テーブルが約三ミリ薄くなるためテーブルの耐性がそれだけ低下し、精度に影響するため、この方法はとれない。この損傷部位をカバーして本件プレナーを稼働させる方法としては、損傷部位上に特別に基準台を取りつける、又は損傷部分のみを削り取り、同一材料を埋込む方法が考えられるが、そのいずれにも難点がある。従って、会社は、本件プレナーを汎用機として使用することなく、従来どおり箱物加工の専用機として使用し、かつできるだけ損傷部位を避けて作業せざるを得ない状況にある。(証拠略)も以上の認定を覆えすに足らず、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

なお、この損傷部位上にいわゆるカイモノを乗せて、その上に加工物を固定して稼働させた場合に、精度が従前に比し劣らないと認めるに足りる的確な疎明は存しない。

以上に認定した事実によれば、本件プレナーの損傷は、会社にとって軽視できない相当な損害であることは明らかである。なお(証拠略)によれば、会社は、本件プレナーにつき機械保険に加入していないことが認められるけれども、右保険未加入の一事を以って会社に本件事故につき有責性を認めることはできない。

(ニ) 過去の処分例、事故例との対比

(証拠略)によれば、会社では、従来工作不良、機械損傷を理由に従業員に対し懲戒処分をした事例はなく、出勤停止処分の例は、昭和三七年三月申請外大屋某がLS旋盤納入先において試運転中に操作ミスにより、納入先の人に重傷を負わせた事件について、出勤停止五日、社内暴力事件につき出勤停止五日二件、同三日一件の例のみがあることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

次に、(証拠略)によれば、従前の事故例として、申請人主張の(1)ないし(10)(但し(9)を除く)の事例が存したことが認められるが、申請人が主張する(2)(3)(5)(8)の事故が居眠りを原因とするものであるかどうかについては、申請人の主張に副う(証拠略)は、(証拠略)と対比したやすく信用し難く、他に右主張を認めるに足りる的確な疎明は存しない。

してみると、過去における事故例は、等しく作業者の不注意に基づく点では、本件事故と軌を一つにするものの、それが居眠りに基づくものではないという点で本件事故とは異るというべきである。(仮りに、申請人主張のとおり申請人主張(8)の事故が作業者の居眠り事故によるものであったとしても、右作業者が、それ以前に再三居眠りをしていたとか、報告義務を懈怠したとかした疎明はないから、右(8)の事故と本件事故との軽重は明らかである。

なお、申請人本人尋問の結果、右により成立を認め得る(証拠略)によれば、申請人主張のシンシナチー製プラノミラー及び久保田鉄工所製プレナーの各テーブルに本件グレープレナーの前記損傷と同程度の損傷が存することが認められ、(証拠略)によれば、右損傷は、前者は戦前、後者は戦後間もなくの頃、作業者の操作ミスにより生じたものであることが認められる。

(ホ) 総合判断

以上(イ)ないし(ニ)で説示したところを総合して考えるに、本件居眠り事故は、夜勤明けの残業時間中に発生したものであり、会社側にも不測の事態発生防止のため夜勤者の勤務状況を不断に監視、監督する体制に不十分な点が存したことは否定できないところであり、本件プレナーの損傷それ自体を取り出して考えると、かつて同程度の損傷事故もあったのであり、また操作ミスによる人身事故、物損事故等は相当数その事例が存するが、物損事故については懲戒処分の例は一件も存しないのである。これらの点からすると、本件出勤停止処分は、重きに失すると考えられなくもない。

しかしながら、先に認定したとおり、申請人は再三に亘り夜勤中居眠りないしこれに起因する事故を起こし、一度は始末書を提出し正規のものとは言えなくとも、事実上の譴責処分に付されていたこと、本件事故につき、申請人は即時に上司に報告すべきであるのに、これをなさず、上司の追及により始めて居眠り事故であることを報告するに至ったこと(右報告義務懈怠の点は、職場規律保持の面から会社としては黙過できない点であろう)、加えて、本件プレナーは米国製で高価なものであり、その損傷による損害も軽視できないこと、以上の諸点からすると、本件事故は、重大な過失ないし業務上の怠慢によるものとして、就業規則一四―三(8)(9)に、居眠りの点は一四―三(12)にそれぞれ該当し、従って一四―三(14)にも該当するから、一四―四(14)にも該当することとなり、右一四―一ないし四を適用してなされた本件出勤停止処分は、相当な事由に基づくものとして有効と解される。

もっとも、前記のとおり、申請人は、本件事故につき始末書及び陳述書を提出し、「不覚この上もない事故で責任の重大さを痛感する」旨陳謝の意を表明した上、受理されるには至らなかったが、「今後居眠りに起因するような事故の発生あらば、責任の所在を明確にする」趣旨の誓約書を提出しようとしていたことを考えると、申請人の本件事故に対する反省は顕著なものがあると評することができる(この点につき会社の今後同種の事故あらば退職する旨の誓約書の提出要求は当を得たものとは言えない)。

また、申請人本人尋問の結果、右により成立を認め得る(証拠略)によれば、申請人の住宅事情は、夜勤者として昼間に安眠がとりにくい環境にあったことが認められ、これらの点は申請人に有利な情状と言えるものではあるが、申請人は前記のとおり昭和四六年九月に同趣旨の始末書を提出しておりながら、その文言を守れなかったものであり、また、いやしくも夜勤者として勤務し、残業についてもこれを承諾している以上、住宅環境が良好でないという一事を以って申請人が免責されるいわれは存しないというべきである。

なお、賞罰委員会は前記のとおり、会社の制度上懲戒処分の有効要件として設置されているものではないから、たとえこの委員会につき申請人に弁解がなされる機会を与えられず、またいわゆる持廻り決議の方法がとられたとしても、本件出勤停止処分の効力には何らの消長を来たさない。

以上の説示に反する申請人の主張は、いずれも採用できない。

(三)  一次解雇に至る経過

(証拠略)によれば、次の事実が認められ、(証拠略)中右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

1 出勤停止処分の撤回要求

申請人は、前記のとおり、本件出勤停止処分に服し、組合にもその旨伝えたのであるが、内心では、賞罰委員会で釈明の機会が与えられなかったこと、就業規則一四―四の何号に該当するかについてその具体的説明がなかったこと等に釈然としないものを感じていたところ、出勤停止期間中に同僚から申請人主張四(二)2(8)の福富の事故例等を聞知し、これに比し本件出勤停止処分は重すぎるのではないかと考えたこと、また、賞罰委員会の付帯決議として、今後同種の事故を起こしたときは、賞罰委員会の議を経ずに退職処分とする旨の条項が存することを知ったことなどのことから、申請人は、本件出勤停止処分に異議申立をしないときは、この処分が近い将来において解雇の有力な事由にされる危険性が大であり、これを防止するためにこの処分に不服である旨明確な意思を表示しておくべきである旨決意した。そこで申請人は一月二二日本件出勤停止処分に服し了って出社し、会社に対し、本件出勤停止処分は不当なものでとても承服できないからその取消を求めるとの要求書を提出し、同日申請人を支援する申請外後藤、影山、野川及び武藤は「酒井光三君の懲戒処分無効についての要請書」を組合に提出した。

組合では、一月二五日の執行委員会で、申請人らの右要求について審議したが、既に申請人自身が出勤停止一〇日間の処分に服することを了承したのであり、組合も、この処分を了承した以上この件は決着ずみであるとの結論であった。

会社の清水課長、石川部長らは、申請人の取消要求は、出勤停止処分発令当時の申請人の態度と矛盾するのみならず、本件事故に対する反省心の欠如を示すものとして要求書の撤回と関係者への謝罪を求め、かつ一月二二日以降就労させなかった。そして、一月二二日から三〇日まで連日申請人は出勤停止処分の取消と就労とを求め、会社側はこれを拒否し、取消要求の撤回を求める説諭を繰り返した。両者の主張の対立点は、申請人が本件処分は重すぎるというのに対し、会社はその言分自体が反省心の欠如を示すものであって取消要求の撤回なき限り安全対策上就労させることはできないというにあった。この両者の対立は平行線をたどるばかりであったため、会社は、申請人の取消要求は、会社の職場規律や安全管理上許されないことを理由に、二月五日までに前記要求を撤回しない限り、申請人を解雇することとし、一月三一日に清水課長がその旨記載した通告書を申請人に手渡した。

2 解雇禁止仮処分決定

申請人が前記要求を撤回することなく、二月二日名古屋地方裁判所に解雇禁止の仮処分申請をなし、同月五日審尋と和解とが行われたが、和解は不成立に終り、その直後右地裁民事一部裁判官室前廊下で合田部長、清水課長が申請人に対し解雇を言渡そうとしたところ、申請人代理人から解雇辞令、解雇手当等の提供を求められた経過はすべて申請人主張のとおりであること、及び同日「被申請人は申請人が昭和四八年一月二二日付で被申請人に対してなした出勤停止処分の取消を求める意思表示を申請人が撤回しないことを理由として、申請人を解雇してはならない」との解雇禁止仮処分決定が下された(以上の事実はすべて当事者間に争いがない)。右決定の下されたのは、同日午後六時五五分頃であるが、申請人は直ちに送達を受け、名古屋第一法律事務所に赴き、決定を複写したのち、取り敢えず、会社に赴き、解雇しないよう要求した。(右仮処分決定が会社に送達されたのは二月六日午前一〇時頃であることは会社の自認するところである。)。他方、清水、合田の両名は当日結局再び申請人と出会うことができなかったため、会社は、同日午後六時過頃、解雇辞令と解雇予告手当金を名古屋北郵便局から申請人の住所宛郵送し、右郵便は同日午後七時過頃申請人方に配達されたが、申請人不在のため、北郵便局に保管され、結局申請人は、二月七日午後三時頃同局において解雇辞令、解雇予告手当金等を受領したが解雇予告金は直ちに返送した。なお会社は別に申請人に対し退職手当金九〇万円弱を提供したが、受領を拒否されこれを供託した。

以上に認定した事実につき考えるに、申請人は本件出勤停止処分につき異議申立をすることなく、これに服し、組合もこの処分に同意し、この処分に関しては、会社、組合、本人の三者間で解決ずみになったわけであり、この処分取消要求に対し、会社が申請人の真意をはかりかねたのは無理からぬ点もある。

然し、本件処分の取消要求をなすに至った申請人側の事情もまた無理からぬ点が存する。即ち、申請人は、前記のとおり始末書、陳述書を提出した上、受理はされなかったものの、今後同種の事故を起こしたときには責任の所在を明確にするとまで記載した誓約書を会社に提出しようとしていたのであり、これらは申請人の反省が顕著であることを物語るものである。

ところが、申請人は出勤停止処分期間中に、他の事故例、賞罰委員会の付帯決議等を知り、加えて賞罰委員会から釈明の機会が与えられなかったこと、及び規則一四―四の具体的適用条項について説明がなかった等の点について内心不満であったことなどのことから、出勤停止処分に服した後において、右処分は重いから不服である旨の意思表明の手段として取消要求をなしたのである。従って、右取消要求を反省心の欠如を示すものと解することは到底できない。

(証拠略)によれば、労働協約第五二条には、「懲戒権は会社が行使するが、事前に組合に内示する。組合において意見あるときは、会社はこれを尊重する。異議あるときは、経営協議委員会において協議する」旨の定めがあり、懲戒処分の苦情処理を経営協議委員会に委ねていることが認められる。

従って、申請人の取消要求は、同条にいう異議にあたるが、前記のとおり、申請人は、本件出勤停止処分につき当初異議を申立てることなく、これに服しているのであるから、会社は、これを理由に右要求を拒否すれば足り、会社も組合も協約所定の経営協議委員会で協議する必要はないというべきである。

ところが、会社は、右取消要求を以って、反省の念の欠如を示すものとして、その撤回を要求し、申請人の就労を拒否し、遂に、撤回しないことを理由に一次解雇をなすに至ったのである。

しかし、たとえ時機に遅れた異議であったとしても、これを表明する自由は労働者に保障されてしかるべきであって、会社の取消要求の撤回要求、及び撤回しない限り解雇する旨の通告は、著しく妥当を欠く措置というべきである。

前記解雇禁止仮処分決定もその見地から発せられたものと考えられる。

なお、一次解雇の意思表示の到達は、申請人が二月七日午後郵便局に出頭して解雇辞令を受領したときと認めるのが相当であるから、一次解雇は右仮処分決定に違反していることになるが、任意の履行を期待するこの種の仮処分決定に違反している一事を以て一次解雇の効力が無効となるものでないこと多言を要しない。

三、一次解雇の効力

一次解雇は、通常解雇としてなされたものであるうえ、会社の賞罰委員会制度は、就業規則ないし協約に基づくものでないから、一次解雇につき賞罰委員会の開催を欠いてもその効力が左右されるものでないこと多言を要しない。

次に就業規則八―一〇の(1)(2)(3)が別紙(一)のとおりであることは当事者間に争いがなく、一次解雇の辞令には「就業規則八―一〇(1)により解雇する。」とのみ記載されていたことは前記のとおりであり、具体的に八―一〇(1)の何号に該当するか明らかにされていないけれども、前記認定の一次解雇に至る経緯、特に取消要求の撤回なき限り解雇する旨の通告に基づいてなされた解雇であることからすれば、申請人の取消要求以降の言動、特に取消要求それ自体が反省心の欠如を示すものとして、八―一〇(1)c(一四―四(13))及び同dに該当することを理由に一次解雇がなされたものというべきところ(従って、本件解雇は申請人主張の二重処分とは言えない)、右取消要求が反省心の欠如を示すものとは認められないことは先に説示したとおりであるから、申請人が右各号にいう「改心の見込のないとき」に当らないことは明らかである。

従って、右各号のその他の文言の該当性につき判断するまでもなく、右各号を理由として申請人を解雇することはできないというべきである。

なお、会社主張の八―一〇(1)bgについても、申請人は前記のとおり取消要求申立以後就労を拒否されていることにかんがみると、申請人が右各号に該当すると認めることは到底できない。

以上の認定の趣旨に反する(人証略)はたやすく信用し難く、他に右認定を左右するに足りる的確な疎明はない。

してみると、一次解雇は、解雇の正当事由を欠くから、無効というべきである。

(予備的解雇について)

四、予備的解雇の効力

会社が昭和五一年三月一九日到達の内容証明郵便をもって、申請人に対し、一次解雇が無効であるならば、予備的に整理解雇する旨の意思表示をしたこと、及びその際会社主張のとおりの予告手当金の提供及び退職金、特別慰労金の支払通知がなされたことについては、当事者間に争いがない。

ところで、一次解雇の意思表示が前記のとおり無効であるから、申請人は、一次解雇の時点以降も会社の従業員の身分を保有していることになる。

そこで、予備的解雇の効力について判断する。

(一)  会社の概況、経営危機及び不況対策

被申請人主張の会社の概況については、申請人が明らかに争わないところであり、(証拠略)によれば、会社の経営危機、不況打破の諸施策については、会社主張のとおりの事実、これを要約すれば、会社は、工作機械、繊維その他諸機械などの製造・販売を主たる業務としており、このうち主力の工作機械では、わが国大手五社の一つとされているものであるが、昭和四八年の石油危機以降の経済的不況により、工作機械業界及び繊維機械業界は、構造的な長期不振時代を迎え、この不況に対処するため、会社はその主張のとおりの不況対策を次々に講じ、人員を縮少せずに不況を克服しようとしたのであるが、その受注高及び売上高は、別紙第六、第七、第一〇表(各略)のとおりで、低落の一途を辿った。会社の損益分岐点は一か月約一五億円であるが、昭和四八年九月期の受注高約一五億円であったものが、それ以降下降線を辿り、右損益分岐点をはるかに下廻る状態が継続し、他方原価は高騰するのに反し、売価は過当競争による値崩れ幅が容易に改善されないため、経常損失は昭和四九年九月期四・六億円、昭和五〇年三月期八・三億円、昭和五〇年四月一日から昭和五一年三月三一日まで二六億七四四九万五九一九円(損益計算書には有価証券売却益等差引き当期損失二〇億七三九九万八八二〇円)であり、また昭和五一年三月三一日現在短期借入金一六四億五〇三四万四〇〇〇円、長期借入金三億二一七三万八〇〇〇円合計一六七億七二〇八万二〇〇〇円、有価証券売却益等で赤字を補填された後の累積欠損金二五億二三二〇万三四六六円に達している。このように大幅な赤字が継続し、資金繰りに窮した会社は、更に昭和五一年一月には会社の厚生施設である大隈病院その他の固定資産を売却(同年七月には本社工場敷地約九万二〇〇〇平方メートルのうち約二万三〇〇〇平方メートルも売却)するに至った。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる疎明は存しない。

(二)  三八〇名の人員縮少の必要性

(証拠略)によれば、次の事実が認められ、他に右認定を動かすに足りる疎明はない。

会社は前記のとおりの経営危機に直面し、昭和五〇年一二月三八〇名の希望退職者募集を柱とする企業再建三か年計画の実施を決意し、翌五一年一月二六日開催の経営協議委員会において組合にこれを提案し協力を求めた。会社の再建三か年計画の骨子は、<1>初年度(昭和五一年度)は従来の大幅赤字を半減する。<2>第二年度(昭和五二年度)は収支相償い赤字を出さない。<3>第三年度(昭和五三年度)は黒字にすることを目標とし、これを達成するために、<イ>販売力拡大―製品機種の見直しと販売体制の整備、新市場の開拓と製品開発力の充実、値引防止策、<ロ>支払利子の軽減―利子軽減のため、不動産を売却し借入金の返済をすすめる。<ハ>人員規模縮少―希望退職者三八〇名を募集する。<ニ>遊休資産の活用―不要不急の設備機械、展示製品の早急な処分、長期滞留品の整理、研究用資産の活用、<ホ>職制組織の効率化―会社の目標を従業員に明示し、全社一丸となって再建に努力するため職制組織及び人事の効率化をはかり志気を昂揚するものとした。右再建目標の達成には三八〇名の人員縮少を前提としているが、この会社の人員計画は、縮少前の基礎人員を、会社二〇三八名、大隈技術サービス一一四名、計二一五二名(申請人は非在籍者として上記人数に含まれていない)としていた。昭和五〇年一二月末の人員は、会社二〇四一名、技術サービス一一五名、計二一五六名であったが、当時既に三名は通常の停年退職をするもの、他に一名は病状重く職場復帰が不能で早晩退職が予定されていたので、以上四名を減じて縮少前の基礎人員を二一五二名とした。従って三八〇名の人員縮少をした後の在籍人数は一七七二名となる。

会社が収益回復を三か年とし、三八〇名の人員縮少を必要とした理由は次のとおりである。即ち、会社の再建三か年計画における想定損益計画は、別紙第一一表(略)のとおりであり、右表によれば、売上高につき、初年度は半期五〇億円、第二年度は対前年伸長率二〇%を見込んで半期六〇億円、第三年度は対前年伸長率一七%を見込んで半期七〇億円の見込みとし、人件費、固定費の半期合計初年度約四・七億円、第二年度約五・三億円、第三年度約六・二億円の削減を前提とし、経常損失を初年度半期八億円、第二年度半期三・三億円とし、第三年度には半期四億円の黒字(累積赤字一二・六億円)とするものである。しかして、会社の計算によれば、仮に三八〇名の削減が実施されなければ、昭和五一年以降の経常損失は第一一表のとおり、三八〇名分の人件費等が加算されて、初年度一二・七億円、第二年度七・六億円、第三年度二・二億円となり、三か年の累積赤字の合計は四五億円にのぼるとされる。そして、予想される右経常損失四五億円の補填資金の調達は、昭和五〇年末当時の会社の前記経営状況からみて、困難である。

また工作機械業界においては、人件費/売上高比率と経常利益の相関関係は概ね三〇%を超えると赤字計上となるのが一般的であるとされているが、会社におけるそれは別紙第一三表(略)のとおり昭和五〇年上半期において四六・七%という異常に高率であるが、これを今後三か年内に三〇%近くに引下げるためには、別紙第一四表(略)のとおり三八〇名の人員削減が必要と計算されている。右表は三八〇名分の人員削減の外に、今後予想される自然減を月約四名、年間約五〇名(但し初年度に限り月約二名、年間約二五名)を見込んだ想定人件費の試算表である。

以上認定した事実からすれば、会社の右計算は合理性があるから、会社が三八〇名の人員縮少をする必要性のあることは明らかである。

もっとも、(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

会社における昭和五〇年末頃までの残業は一人一か月平均五時間以上一〇時間足らずであったが、昭和五一年三月以降は一人一か月平均約二四時間位に増加した。その理由は、<1>売上高を当初の計画より一〇億円増加させた六〇億円に見合う生産負荷を消化するため、<2>工作機械業界では、普通受注してから生産ラインに乗るまで最低六か月を要するのであるが、それが二~三か月という短納期受注が多くなったため、<3>激烈な販売競争に打ち勝つための新機種開発を行うため等である。人員縮少後残業、休日出勤がみられるのは、ひとり会社のみではなく、会社とほぼ同規模で同時期に人員縮少をした同業大手の日立精機、池貝鉄工所にも同程度の残業が実施されている。そして、前掲証拠によれば、以上のような努力を傾注して修正した売上目標六〇億円を達成したのであるが、赤字減少の目標は、経常損失八億一〇二四万七四二八円で、僅少ではあるが、目標に到達しなかったこと、売上目標は、その後の受注状況に即応してなされたことが認められる。従って、売上目標、残業、休日出勤の増加は、三八〇名の人員縮少の必要性に消長を及ぼす事由とはなし難い。

また、(証拠略)によれば、会社の昭和五一年春の昇給額は前年比六・七%の八七〇〇円で、これは産業界一般の平均八・八%よりも低く、夏期賞与についても、資金繰りが逼迫しているため、一人平均二〇万円プラス三万円につき、二〇万円のうち二分の一を社内預金で、残金三万円については、二万円を九月末に、一万円を昭和五二年三月末までに支払う状態であったことが認められる。

従って、会社の昇給賞与の右のような支給状況が三八〇名の人員縮少の必要性に消長を及ぼすものとみることはできない。

次に、三八〇名削減の会社の計算は、初年度一か月約二名、年間約二五名、第二年度以降一か月約四名、年間約五〇名の自然退職者を見込んでいることは前記のとおりであるが、申請人は、昭和四九年四月一日以降昭和五〇年三月三一日までの退職者は一六一名、同年四月一日以降昭和五一年三月三一日までの退職者は一二〇名、従って右二年間の退職者平均は年間一四〇・五名、一か月当り一一・七名が退職していることになるから、会社の前記自然減見込数は過少にすぎ、従って三八〇名の削減計画は過大に過ぎると主張する。

昭和四九・五〇両年度において合計二八一名の退職者があったことは当事者間に争いがないが、(証拠略)によれば、次の事実が認められる。右二八一名の退職者のうち六一名は不況打破の諸施策の一環として実施した勇退者であるから、自然退職者数はこれを差引き二二〇名であり、従って、昭和四九・五〇両年度の一か月平均退職者は約九・二名である。しかし、会社は、右両年度における停年退職者は年平均二九名もあったが、今回の希望退職において停年間近い人が応募したので、今後は多くを望めず、また例年自己都合退職者の半分近くを占めていた女子が、今回の希望退職に多数応募したので、今後女子の自己都合退職も減少するであろうこと、更に今後は高度成長経済の人手不足時代とはちがい、低成長経済の人手過剰時代になっているから、自己退職が抑制されるであろうことなどを勘案して前記のとおり自然減少見込数を算出したこと、以上の事実が認められ、右事実によれば、会社の自然減少見込数が不合理であるとはいえない。(証拠略)も右認定を左右するに足りない。

申請人は、現に本件予備的解雇のなされた昭和五一年三月一六日以降三月末日までに七名が退職し、翌四月一日以降一〇月一五日までに一六名が退職しているから、会社の自然減の見込数は過少であると主張し、右退職者数については当事者間に争いがないが、自己退職は全く退職者の自己都合によるものであるから、その数は月によって流動的であるのが通常であり、特定の月における退職者数の多寡により、会社の自然減の見込数が過少であると即断することはできない。

以上を要するに会社の再建三か年計画には合理性があるから、右計画に基づき、会社が三八〇名の人員を縮少する必要性はこれを肯認すべきものと考える。

(三)  三八〇名の人員縮少の方法・経緯

(証拠略)によれば、次の事実が認められ、(証拠略)はたやすく信用し難く、他に右認定を左右するに足りる疎明はない。

会社は、三八〇名の人員縮少を希望退職者募集の方法で達成しようとし、その旨組合に対し、昭和五一年一月二六日の経営協議委員会(以下「経協」ともいう)で提案し、右募集のやむなきに至った現状と希望退職者募集要綱を発表し、同時に前記再建三か年計画を説明し、組合の理解を求め、引続き同月二九日、三〇日に経協を開いた。組合は右再建三か年計画に対し、二回に亘る全員集会、更には職場委員会をもつなどして検討したうえ、二月四日の経協において、会社から更に詳細な説明を受けたうえ、二月九日臨時大会を開催し、会社提案の人員縮少案は認めざるを得ないが、<イ>希望退職者募集要綱における募集対象基準((a)近く退職を予定されている人(b)退職をしても生活に及ぼす影響の比較的少ない家庭事情の人(c)健康状態などで十分な業務遂行に自信のない人(d)会社の業務に適性上合わない人(e)勤務成績が比較的低位にある人(f)配置、職種の転換が困難な人)の撤回要求、<ロ>退職条件の引上要求を、賛成一八二名、反対六名、保留二八名で可決決定した。右決定に基づき組合は、同日以降一〇日、一二日と経協において会社と交渉した結果、特別慰労金の増額は組合の要求どおりに、募集対象基準については、希望退職は企業再建のためであるから、再建に必要な人材を確保しなければならないとする会社の主張を容れ、これを明示するものとした。会社との間の右合意案を組合は二月一六日の臨時大会において、出席代議員二一九名中賛成一九六名、反対四名、保留一四名で承認可決し、翌一七日会社と組合は「希望退職者募集に関する協定書」及び右協定書に基づき希望退職者を募集する手続の細部を申し合わせた覚書を取り交した。この協定書第二条には、「募集期間昭和五一年二月一七日から二月末日まで。但しこの間に希望退職者が上記人員に達しないときは、別途に協議する。」旨、覚書第一条には「この希望退職は本人の自由意思を十分尊重するが、再建に必要な人が退職申出をした場合には慰留する。女子従業員が均衡を失する応募のあったときも慰留する。」旨定められていた。

会社は、組合との右合意に基づいて希望退職者募集を実施した。即ち昭和五一年二月一七日の始業時に会社は、希望退職者募集のやむなきに至った事情を説明した「公示」と「要綱」とを全従業員に配布したのを始め、会社主張のとおり職制を介し、従業員に対し希望退職者募集についての協力を求めたが、募集締切日である二月末までの応募者は三〇七名にとどまり、目標に対し、七三名の不足を生じた。この時点で会社は、再建三か年計画につき、人員縮少を三〇七名に止めた場合の損益計画を再計算したが、この場合は、初年度半期九・三億円、第二年度半期三・七億円の各赤字、第三年度半期二・四億円の黒字となり、三か年の累積赤字は二一億円に上り、これは三八〇名縮少のもとでの累積赤字一三・八億円に比し、その差は七・四億円となるため、予定どおり更に七三名の人員縮少を要するという結論になった。

そこで、会社は、募集締切日の翌日の三月一日に部課長四名を勧奨勇退せしめ、また同日、組合に対し、前記協定書第二条、並びに労働協約第五八条(解雇協議約款)に基づき、爾後の対策について経協で協議したい旨申し入れ、同月三日の経協において、やむを得ざる措置として、「前記七三名から勇退者四名を除いた男子組合員六九名を組合の同意が得られた期日をもって、就業規則八―一〇(1)・(g)による会社都合解雇とすること」と解雇基準、退職条件などを組合に申し入れた。このとき会社が希望退職者の再募集を不可能とする理由として組合に説明した内容は、期間中の応募者のなかに、男女の適正な構成比率を破るほど多数の女子(一六六名中六八名退職率四一%)や成績優秀者と目される者(五三名)が含まれており、その反面成績低位者が比較的少く、更に相対的に若年層が退職応募して、平均年令が高まり、人員構成が若干高令化する(従業員の平均年令は募集前三三・六才、募集後三三・八才となる)など希望退職による人員縮少は、今後の再建計画に問題を残こすというにあった(希望退職募集期間中の慰留者は、職場で不可欠とされる男子成績優秀者若干名、及び女子一〇数名で、前記覚書に基づいて会社が慰留したもの)。

しかし、組合執行部は希望退職者の再募集をすべきであると強く反対し、翌四日の経協においても同様の反対をしたが、会社はその方針を変更せず、物別れに終った。そこで組合は、三月九日臨時大会を開いて、会社都合解雇に対する白紙撤回要求を斗い抜くべくスト権の委譲を求めた。ところが、大会においては、執行部案は、出席代議員一九八名中賛成一七名、反対一五九名、保留一八名で否決された。かくて翌一〇日執行部は会社の申し入れを受けざるを得ないとして、職場討議に付したうえ、三月一二日の臨時大会において、会社の提案を受け入れること、解雇該当者の人選、その他細部事項は執行部に一任する旨、出席代議員一八六名中賛成一六三名、反対八名、保留一三名で決定された。そこで、組合は三月一五日午前の経協において、会社の前記申し入れに同意し、会社は人事部長において会社主張のとおりの解雇基準、方法、指名解雇者六九名全員について解雇基準該当状況を説明し、併わせて、申請人についても解雇基準該当状況を説明したうえ、一次解雇が無効であるとの有権的判断がなされた場合を考慮して、六九名の解雇と同日をもって同一解雇基準にてらし基準該当者として予備的解雇する旨、並びにこれら被解雇者につき再就職の斡旋に努力すること、被解雇者の希望により任意退職扱いに振替えたときは、退職金の外に特別慰労金を支給する旨申し入れた。組合は、六九名については検討を加えたうえ、同日午後四時三〇分再開の経協において会社の内示案を諒承し、申請人については、昭和四八年二月五日付会社都合解雇と同時に組合から除籍しているので、これには関知しない、と答えた。かくて、同日申請人を除くその余の指名解雇者についての協定書(労働協約)が労使間に調印された。そこで会社は三月一六日に同日付で六九名の指名解雇を発令すると同時に、一九日到達の書面を以って申請人に対し予備的解雇の意思表示をした。

なお、右六九名のうち六〇名は、組合との右協定によって、発令と同時に本人の希望により希望退職取扱いにふりかえた。従って最終的に指名解雇された者は九名(内六名は別件で解雇の効力につき係争中)申請人を含めると一〇名である。また会社人事部では退職者の再就職の斡旋に努力し、六二名についてほぼ再就職を決定した。

(四)  六九名の指名解雇の必要性、及び本件予備的解雇の必要性

以上認定した事実によれば、三八〇名の人員縮少計画に対し、希望退職募集期間の二月末までの応募者は三〇七名にとどまり、三月一日付勧奨退職による勇退者四名を含めても、目標には六九名が不足であったこと、この時点において、会社は三か年計画を再計算したが、その結果依然として右不足分の人員縮少の必要性を認め、これを指名解雇の方法により達成することを決定し、三月三日の経協において、その旨組合に申入れたこと、組合は、希望退職の再募集(以下「二次募集」という)をなすべきであるとして、同日と翌四日の経協において強硬に反対し、三月九日の臨時大会において指名解雇の白紙撤回を求めてスト権の委譲を求めたが、執行部案が否決され、三月一二日の臨時大会において会社提案を受託する旨が決議され、三月一五日の経協における協議を経て三月一六日付を以って、六九名の指名解雇が発令されたことが明らかである。

そして、会社のした再計算については合理性が認められ、また会社が希望退職募集期間中に若干の慰留を行ったことは前記のとおりであるが、右慰留には、合理的必要性が認められるから、右慰留の事実は六九名の人員縮少の必要性に消長を及ぼすものとは言えない。

してみると、六九名の人員縮少の必要性は疎明されているというべきである。

そこで、問題は、二週間の希望退職募集期間が経過した直後である三月一、二日頃に、会社が右六九名につき二次募集の方法によらずして指名解雇の方法によることを決定したことの合理的理由の存否である。

(証拠略)によれば、協約第三条は「組合員はすべて会社の従業員である。」と規定し、組合員の会社都合解雇について、第五八条は「会社組合協議の上決定する。」旨規定されていることが認められ、右解雇協議約款は、組合に会社都合解雇につき共同決定権を与えたものと解される。

そして、先に認定したとおり、労使は経協における協議を経て組合の同意を得たうえ六九名の指名解雇を決定したのであるから、右指名解雇は、右協約文言どおりの手続を経てなされたものであり、手続上の瑕疵のないことは明らかである。

しかしながら、手続上の瑕疵のないことから、直ちに実体上も六九名の指名解雇の必要性が当然に認められるという関係にないことは多言を要しない。

問題は、労使の協議を通じ、指名解雇の必要性が客観的に明らかにされていると認められるか否かにある。

そこで、この点を仔細に見るに、当裁判所は、結論として、会社は、二次募集をなす等の方法により六九名の人員縮少をなす最後の努力をなし、然る後に指名解雇の方法をとるかどうかを決定すべきであり、この努力をなさず六九名の指名解雇を直ちになしたことについてはその必要性の疎明が不十分であると考える。

以下にその理由を詳述する。

整理解雇が、労働者の責に帰すべき事由ではなく、もっぱら会社側の都合に基づきなされるものであること、及び我が国企業の実状は終身雇用制が通常とされていることに照らすと、整理解雇が被解雇者に与える打撃は誠に深刻なものがあるから、整理解雇が有効と認められるためには、解雇基準の合理性、その人選の妥当性と並んで、整理解雇の必要性を具備することを要し、右必要性は、人員縮少の必要性を前提とし、人員縮少のための万全の努力をしたが、それが奏功しないという時に始めて認められると解するのが相当である。

本件では、六九名の人員縮少の必要性は疎明されていることは前記のとおりである。

そして、会社が、組合執行部の強い要請にもかかわらず、二次募集を不可能とする理由は、前記のとおり、一次募集の応募者に成績優秀者五三名や、男女の適正な構成比率を破る程多数の女子が含まれており、反面成績低位者が比較的少なく、また相対的に若年層が多く、人員構成が若干高令化しており、希望退職による人員縮少は、再建計画に問題を残こすというにあったことは前記のとおりである。

しかし、(証拠略)によれば、会社の人事考課制度は、考課点、順位等を綜合してABCDEの五段階評価であるところ、男子従業員につき、一次応募者中成績優秀者(会社の人事考課がA又はB)は一〇八七名中五三名、Cは七〇四名中一五六名、Dは四四名中二五名、Eは五名中三名であることが認められるから、右の成績優秀者と、低成績者の比率からすれば、会社の再建計画に支障を来たす程の労働力の質的低下があったものとは到底認められないし、前記認定程度の若干の平均年令の増加(〇・二才)も企業としては当然受忍すべきであって、そのための人件費の増加はさしたるものとは言えず、再建に支障を生ずるとは認められない。

従って、これらの事由は二次募集を不可能にする程の事由とは認められない。

(証拠略)も右認定を左右するに足りない。

また、女子の応募者が多数あり、会社が一〇数名を慰留したことは前記のとおりであるが、二次募集の対象に女子を含めないとする方法もあるであろうし、二次募集に際し、極力慰留するという方法もあるから、右事実も二次募集を不可能とする事由とはなし難い。

二次募集において、会社は、企業再建に不可欠とされる労働者(成績優秀者や若年労働者の一部)を慰留することができるのは当然であり、また強制に亘らない限りは、低成績者に退職を勧奨することもできるのである。

従って、会社は人員縮少について二次募集という方法で最後の努力をなすべきであったということができる。

(証拠略)によれば、三月四日の経協において会社は、「三月三日付の某新聞紙上に、会社が一次募集期間中に退職を強制したとして国会で問題にされた記事が掲載されたが、会社はこのような事実が全くないが、希望退職募集の方法は誤解を招き易く、二次募集は不可能である」旨発言したこと、一方組合は、「斗いの総括」と題する文書(<証拠略>)において、「某組合員が二月二一日に強制的に退職を勧告させられたとして労働基準監督署に訴えたり、三月二日の国会で会社を名指しで同旨の発言がなされたりしたことがあり、これらは、組合を無視する言動であるが、これらの動向がからんで、会社が指名解雇を決定したのではないか」との趣旨の記載があること、以上の事実が認められ、他にこれに反する疎明は存しない。

従って、会社は、一次の希望退職募集期間中ないしその直後に生じたこれら外部の批判が二次募集を不可能とする事由の一つに考えていたことは明らかである。

しかし、前記協定ないし覚書に基づく慰留及び退職勧告は、それが強制に亘らない限りは許されるのであるから、外部の批判に該当するような事実が真実なければ、右批判も何も恐れる必要のない筈であって、これらの外部の言動は、二次募集を不可能にする事由とはなし難い。

一次募集は二週間という短期間なのであるから、更に二週間程延長し、二次募集をする期間を待てない程会社の危機が切迫していたと認めるに足りる疎明はなく、解雇基準に該当するとされた指名解雇者六九名(<証拠略>によれば、その内訳は昭和五〇年下期の考課D、Eのもの二一名、Cの者の中から同年上期及び昭和四九年上期、下期のいずれかにD以下が一回以上あるもの一二名、右の全期間Cのものの中から相対的に成績低位者三六名であることが認められる)中実に六〇名が発令と同時に希望退職に振替えられた事実、一次募集の前記応募状況並びに後記他社の二次募集の応募状況に徴し、二次募集をしても、応募者は、僅少であったであろうとか、応募者中成績優秀者が多く、成績低位者が僅少であったであろうと推測することは困難である。右認定の趣旨に反する(証拠略)は、たやすく信用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

(証拠略)によれば、会社主張の別表第四表(略)のとおり、遠州製作所は、一次の応募者四六〇名に対し、二次では二七六名あり、吉田鉄工所では一次一〇三名、二次一〇〇名の応募者があったこと及び右表記載の同業大手二二社を通じ、指名解雇した形跡は存しないことが認められる。

これを要するに、会社が二次募集を不可能とした理由についての合理的理由は認められないと考える。

(証拠略)によれば、臨時大会における代議員の多数意見は、これを要約すれば、会社の指名解雇を必要やむを得ないものとして是認するというよりは、会社に対しストを以って指名解雇に反対してみても、組合が勝利する見込が乏しいというにあったことが認められ、他にこれに反する疎明はなく、組合員の大半は、必ずしも指名解雇の必要性を是認していたとは認められないから、右大会で指名解雇に同意する旨の決議がなされたということは、二次募集を不可能とし、直ちに指名解雇しなければならない必要性を肯認するに足りる資料とはなし難い。

してみると、会社のした六九名の指名解雇(実質的には前記のとおり九名内六名は別件で係争中)は、二次募集という最後の手段を怠った点において、緊急やむを得ない必要性の疎明が十分とは言えず、却って、右指名解雇は一次募集により応募者が予定数に達しなかったことから、この機会に低成績者を一掃し、成績優秀者や、若年労働者を温存せんとの意図の下に、これを完全に実現せんとして、敢えて二次募集をせずになされたものと推認できる。

従って、仮に一次解雇無効により残存在籍人員が一名増加するため、要縮少人員が七〇名になるとの会社の主張が正しいとしても、六九名の指名解雇と同時になされた本件予備的解雇の必要性の疎明も十分でないことに帰するわけである。

以上の説示に反する会社の主張は採用できない。

(五)  結論的判断

本件予備的解雇は、協議約款の存する労使間における整理解雇の一環としてなされたものであるから、その有効要件は、実体上は、解雇の必要性、整理基準該当の妥当性、手続上は労使の協議の履践であるが、前記のとおり、本件予備的解雇の必要性の疎明は十分とは言えず、却って(証拠略)によれば、申請人の成績は解雇基準にいう直近の成績資料はないが、会社主張の一次解雇以前の昭和四六年四月から同年九月まで、昭和四六年一〇月から昭和四七年三月まで、昭和四七年四月から同年九月までの成績はD又はEでいわゆる低成績者に当ることが認められるから、本件予備的解雇は他の指名解雇と同じく低成績者一掃の意図の下になされたものであることは明らかであり、その余の点につき判断するまでもなく、解雇権の濫用として無効というべきである(付言すれば一次解雇に至る経緯に徴すると、申請人は、本件出勤停止処分の取消要求を撤回しないことを理由に、昭和四八年一月二二日以降就労を拒否され、同年二月五日付で一次解雇され、本件仮処分事件により会社と係争中の昭和五一年三月一九日に突然会社から本件予備的解雇の通告を受けたのであって、事前に会社ないし組合から人員縮少の必要性等の説明を受けていないことはもとより、解雇基準にいう直近の成績査定資料もなく、会社組合間の協議においても、組合は、申請人が一次解雇により除籍され組合員でなくなっていることを理由に協議の対象とすることを拒否しているのである。このような立場にある申請人を、解雇基準該当者としてどうしても予備的解雇しなければならない緊急の必要性が存するであろうか。これらの点からすると、本件予備的解雇は、前記低成績者の一掃という意図に加えて、一次解雇の効力を貫徹せんとの意図の下になされたものと推認する余地も十分ある)。

(必要性について)

五、以上考察したとおり、申請人は本件予備的解雇以降も依然として会社の従業員としての地位を保有していることは明らかであるから、本件申請中地位保全を求める申請部分は、理由がある。つぎに弁論の全趣旨によれば、会社は一次解雇辞令日の翌日である昭和四八年二月六日以降、申請人の就労を拒否し、同日以降の賃金を支払っていないことが認められる。従って、申請人は民法五三六条二項により会社に対し、右同日以降の賃金請求権を有するものというべきである。そして、一次解雇当時申請人の賃金月額が平均一〇万二七六四円、支払日が毎月二五日であることは当事者間に争いがない。

(証拠略)によると、申請人はその賃金と妻の月額約三万八〇〇〇円(昭和四七年八月当時)の収入とにより妻と子二人の生計を維持していた労働者で、他に資産はなく、本件一次解雇後は、妻の収入とアルバイトにより辛うじて生計を維持し、生活に窮していることが認められるから、申請人は会社に対し、既に履行期の到来している昭和四八年二月六日以降本件口頭弁論終結時である昭和五二年四月六日まで末尾の算式による未払賃金五一四万〇四〇一円のうち三〇〇万円の限度での仮払いと、翌七日以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一か月一〇万二七六四円の割合による賃金を仮に支払うべきことを求める限度でその必要性を認めるのが相当である。

(算式)

<1>  48年2月6日から同月28日まで

10万2,764円×23/28=8万4,413円

<2>  48年3月から52年3月末まで

10万2,764円×49=503万5,436円

<3>  52年4月1日から同月6日まで

10万2,764円×6/30=2万0,552円

<4>  <1>+<2>+<3>=514万0,401円

六、結論

よって、申請人の本件申請は前認定の限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当として却下することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九二条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本武 裁判官 戸塚正二 裁判官 林道春)

別紙(一)

八―一〇(1) 従業員が、次の各号の1に該当するときは、三〇日前に予告するか、または三〇日分の平均賃金を支給して解雇する。

(a) 不具廃疾その他精神または身体の障害により、職務に耐えられないと認められたとき。

(b) 作業能率が劣悪と認められたとき。

(c) この規則の定めによる懲戒解雇の理由の1に該当したとき。

(d) この規則で定めた懲戒解雇の基準に達しないが、勤務成績が著しく悪く、改心の見込みがないと認められたとき。

(e) 事業を終了または廃止したとき。

(f) 試雇期間中の者で、一五日以上を経過し採用を不適当と認められたとき。

(g) その他事業のつごうによる場合および前各号に準ずる場合。

(2) 前項の予告日数は、一日について平均賃金を支払ったときは、その日数を短縮する。

(3) 前項八―一〇(1)(c)の場合は、一四―四に規定する懲戒解雇の項の扱いをする。

別紙(二)

一四―四 次の各号の1に該当するときは、懲戒解雇に処する。

ただし、情状によって出勤停止または減給に止めることがある。

(1) 正当な理由なしに、無断欠勤が引続き一四日以内(ママ)に及んだとき。

(2) 出勤常ならず、遅刻・早退が多く勤務に不熱心なとき。

(3) 他人に対し、不法に辞職を強要しまたは教唆・扇動したとき。

(4) 他人に対し、暴行脅迫を加えまたは業務を妨害したとき。

(5) 職務上の指示に不当に従わず、職場の秩序を乱したり乱そうとしたとき。

(6) 刑罰に処せられたとき。

(7) 重要な経歴を偽り、その他不正な方法を用いて雇入れられたとき。

(8) 会社の承認を受けず在籍のまま他に雇入れられたとき。

(9) 業務上重大な秘密を社外に漏らしたり、漏らそうとしたとき。

(10) 業務に関し、不当の金品その他を受取りまたは与えたとき。

(11) 不当に他人の自由を拘束しまたは名誉を傷つけたとき。

(12) 故意に著しく作業能率を阻害したとき。

(13) 数回懲戒を受けたにもかかわらずなお改心の見込のないとき。

(14) その他この規則およびこの規則に基づいて作成せられた諸規程に違反したとき。

(15) その他前各号に準ずる特に不都合な行為のあったとき。

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